ヨハン・クライフへの鎮魂歌
「名選手、名監督にあらず」
最もこの言葉が似合わないサッカー選手こそ、
息を引き取られました。
僕にとって、ヨハン・クライフ氏は
本当の超一流とは、
「名プレイヤーであり、名監督である」
という「美学を超えた美しい哲学」を教えてくれた
尊敬すべき存在です。
彼の言動・実績というのは
今の僕のビジネスに対する取り組み方にも大きな影響を与えてくれてます。
今回は、
ヨハン・クライフ氏への鎮魂歌として、
彼の功績・名言から
僕が学んだことを紹介します。
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ヨハン・クライフ功績
プレイヤー時代
代表チームとしては、
実現不可能と言われた「トータルフットボール」を
高い技術と戦術眼で体現し、
1974年ワールドカップで準優勝に貢献し、
「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」の異名を取った。
決勝では「皇帝」ベッケンバウアー擁する西ドイツに敗れたが
「クライフの大会」と評されるほどの活躍ぶりだった。
クラブチームでは、
▪︎アヤックス
リーグ優勝6回
▪︎バルセロナ
14シーズンぶりのリーグ制覇
所属クラブの数々のタイトル獲得に貢献。
また、選手時代を通じて、
3度のバロンドール獲得の偉業や
「クライフターン」と呼ばれる、
軸足の後ろ側にボールを通しながら180度ターンする
フェイントを考案したことで、
現代のサッカーに大きな影響を残している。
監督時代
監督としては、攻撃的な4-3-3フォーメーションや3-4-3フォーメーションの
スタイルを追及し、
不安定な守備と、その欠点を補って上回る攻撃力を持つ戦術を実現。
UEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の初制覇
リーガ・エスパニョーラの4連覇
に貢献。
今のバルセロナに揺るぎない哲学を植えつけたのは
彼の大きな功績と言える。
ヨハン・クライフ名言
- 月並みなやり方をするくらいなら、自分のアイディアと心中した方がマシだ。
- 美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え。
- ボールを持てば私が主役だ。決定するのは私で、だから創造するのは私だ。
- 美しく勝利せよ!
- プレッシングは優れたテクニックの前では無力だ。
- 守り切って勝つより、攻め切って負ける方が良い。
- 私が現役の頃は、サッカーが楽しくて仕方がなかったが、時代が変わったのだろうか?顔を引きつらせ、拳を握りしめながらプレーする選手は、プレーを楽しんではいないし、サッカー選手というよりも陸上選手である。私は理想主義者だから、サッカー選手を求める。
- 本当に素晴らしいフットボールは、国境を超え、自分の属する国籍までも忘れさせ、人々を熱狂させることだ。
- 良い監督は、あるプレーヤーの短所を、別のプレーヤーの長所でカモフラージュする。
- フットボールはとてもシンプルなものである。しかし、最も難しいのはシンプルにプレーすることである
- 才能ある若手にこそ、挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる、最大の良薬だからである。
- 「あなたは年寄りだから、ダメだ」と言われると、私はこう答える。「それを決めるのは、あなたじゃなくて、私だ。」
彼の強烈なまでの自信家のキャラクターが見て取れる一方で、
これどれも本質的ではないでしょうか。
どこ言葉も理想を掲げ、その理想実現の主語が自分なんです。
故に、僕はヨハン・クライフに惹かれます。
周りがどう言われようと、
自分の美学・考えを持ち、その創造を自分で行うという信念。
この信念こそが
「名プレイヤーであり、名監督であった」
ヨハン・クライフなのです。
このヨハン・クライフ像が
僕の「思考は現実化する。要は何を描き、行動するかで、全ては自分次第」
という考え方に繋がってます。
後書き
時に、ヨハン・クライフのように
信念を貫くということは
この世で一番過酷で孤独なこと
であることもあると思います。
ただ、
美しいサッカーを追及し続け、
人々を魅了し続けた彼の言動は、
「本質的」であったからこそ、
多くの人を惹きつけ成功を収め、
今でもバルセロナでは彼の哲学が生きてるのではないでしょうか。
日本だと、
「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。」
みたいな感じかな
っと思います。
要するに
言いたいことを言うだけじゃなくて、
本質的な理想を掲げ、
まず、それを自分が体現しないと
誰もついて来ないってことですね。
ヨハン・クライフ氏と同じ時代に生まれたことに
感謝しつつ、ご冥福をお祈り致します。